“日本のベニス”と呼ばれるほど美しい景観を誇る、富山県射水市。この港町を舞台に、軽度の知的障がいのある主人公・真白(ましろ)の初恋を描いた『真白の恋』は、富山県富山市出身の坂本欣弘監督をはじめ、富山に縁のあるキャストも参加。小説や漫画が原作となる日本映画が多い中、オリジナル脚本であることにこだわった本作は、様々な問題に直面しながらも前向きに人生を歩んでゆく人々の姿を描きつつ、富山の魅力も伝える珠玉の感動作となっています。
オール富山ロケが最大の魅力となっているこの映画を監督したのは、自身も富山出身という坂本欣弘。『きみはいい子』(15)の呉美保監督や『おしん』(13)の富樫森監督の元で助監督を務めてきた彼にとって、これが本格的な映画監督デビュー作。
原作・脚本を担当したのは、日本を代表する映像作家・岩井俊二の元でキャリアをスタートさせ、貫地谷しほり主演の「女くどき飯」(現在 TBS系にて放送中)や、「たべるダケ」などの連続ドラマで、女性の心理を巧みに描いてきた北川亜矢子。知的障害者の実弟を持つ、自身の経験を反映させ、ステレオタイプに描かれがちな知的障がい者の日常に、これまでにない視点を加えることでリアリティを与えています。また、映画音楽を担当するのは、近年様々な人気ドラマの音楽を担当し、スタジオジブリの短編映画音楽も担当する、気鋭の女性音楽家・未知瑠。
そしてアートディレクターには、フジテレビ・木村拓哉主演「HERO」、明石家さんま主演「空から降る一億の星」などの宣伝美術を担当する吉澤正美を起用。坂本監督の意思に賛同した著名なクリエイターたちが、この映画のもとに集結しました。
富山の人々の協力によって、地元ロケや多くの場面でのエキストラなどが実現した本作は、人と人との関係が希薄になった現代社会における人間関係のあり方を、今いちど考えるきっかけになる映画になっています。そして日本全国に富山の良さも発信されてゆくのが魅力のひとつです。
-ストーリー
渋谷真白は、生まれてからこれまで、家族と共に富山で暮らしている。
見た目にはそれとわからないが、真白には、ごく軽度の知的障がいがある。
日常生活に支障はなく、現在は父の営む自転車店の店番をしたり、
飼い犬の世話をしたりと、元気に暮らしている。
ある日、兄の結婚式で神社を訪れた真白は、
東京からやって来たフリーカメラマン、油井景一に出会う。
真白の、生まれて初めての恋。
応援する人、心配する家族。
その中で真白は何を感じ、どう成長していくのか…。
自然豊かな富山に暮らす、ひとつの家族の、「優しさ」と「葛藤」を描く。
この映画が、あなたの心に響くことを願って。
311直後に福島県新地町を訪れた私は、津波の被災だけではなく原発事故による放射性物質の海洋汚染によって福島県の漁業が絶望的状況下にあることを知りました。自分たちを育んできた海、生業としてきた漁業の歴史を一度に奪われた人々は、これからこの地でどう生きていくのか。海はもう再生不可能なのか。私は新地町の漁師たちの行く末を記録しようとカメラを回し始めました。
2016年11月現在、福島の漁業は原発事故以降から継続してきたモニタリング調査の結果、安全と判断された94種の魚介類を対象とした試験操業ができる状態まで回復しました。汚染は浄化しつつあり、漁師たちはいつでも本格操業ができるのです。しかし、原発は収束しておらず風評被害の問題もあることから、福島の漁業は未だ復興できない状況にあります。
原発収束や汚染実態の継続的なモニタリング調査は漁業の復興上とても大事なことです。しかし、復興を考える上で重要な問題は「フクシマ」という記号から抱くイメージから私たち自身が現実の「福島」の漁業者の復興を妨げていることにあります。無意識の自虐行為による傷から私たちは「復興」しなければなりません。福島の漁業者が自立した人間として本操業を行えること、そして福島が抱える多くの問題を考える一つのきっかけとして、この映画を被災地内外の場を超える多くの方々に観ていただきたく思います。
上映運動を広げるため皆様のお力添えをいただきたく宜しくお願い申し上げます。
-ストーリー
あの大地震、原発事故で福島の漁師たちの生活は一変した。
舞台は、3.11後の福島県新地町の漁村。東日本大震災によって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故の影響で、当初、再生不可能とまで言われた福島の海。その海を生きる漁師たちはこれからどこへ向かうのか……。
津波で消えた漁村、浜をさまよう漁師たち、放射能汚染水が排出された海、漁村の伝統祭事を映しながら、物語は「地下水バイパス計画」(汚染水対策)を巡る交渉シーンへと向かう。
廃炉行程を一刻も早く進めるために、漁業者から計画容認を得たい国と東京電力……。一方、どう考えても容認しないと復興できないことを理解しつつも反対する漁師たち、また賛成する漁師たち。
この映画は、津波と原子力災害によって生じた様々な軋轢や葛藤の中で生きる福島県漁業者たちの合意形成を巡る交渉の記録である。
「映画の着手から完成までの3年間に、ぼくのなかでオロは〈チベットの少年〉という枠を
こえて、地球上のすべての少年を象徴するまでに変容していった」—— 岩佐寿弥
映画の最後でオロは「それでも、ぼくは歩いていく」と決意します。現在のチベットをめぐる状況は、どんな時代、どんな社会と比較しても格別に悲しい。しかし、悲しみを乗りこえてオロがたどりつく決意は、21世紀という多難な時代を生きる「地球上のすべての少年」に共通するものです。チベットの少年と日本の老監督が紡ぎ出すこの物語は、暗闇に立つ一本のろうそくのように、私たちのこころに“生きる希望”を灯してくれます。
注1)受難がつづくチベット
ヒマラヤ山脈の北側に広がる「世界の屋根」に存在したチベットは、いまは中国の一部になっている。1959年に指導者ダライ・ラマ14世が亡命、インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を樹立した。現在のチベット難民数はインド・ネパールを中心に全世界で約15万人と言われている。
注2)チベット子ども村
Tibetan Children’s Villages(略称TCV)。中国で危機に瀕するチベット語、チベット文化の教育機会をこどもたちに与えたいというダライ・ラマ14世の意向で1960年に設立された。現在はインド各地で7校が運営され、約15,000人が学んでいる。
2015/日本(148分)
監督:ジャン・ユンカーマン
-作品情報
私たちは沖縄のことを、
どのくらい知っているのだろう?
「老人と海」で与那国島の荒々しくも美しい自然と風土を捉え、「映画日本国憲法」で平和憲法の意義を訴えた、アメリカ人映画監督 ジャン・ユンカーマンが真の平和を求め、不屈の戦いを続けている沖縄の人々の尊厳を描いた渾身のドキュメンタリー。
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。6月23日(現在の慰霊の日)まで12週間に及んだ沖縄地上戦では4人に一人の住民が亡くなりました。本作は、当時同じ戦場で向き合った元米兵、元日本兵、そして沖縄住民に取材を重ね、米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像を交えて、沖縄戦の実情に迫ります。また、戦後のアメリカ占領期から今日に至るまで、米軍基地をめぐる負担を日米双方から押し付けられてきた、沖縄の差別と抑圧の歴史を描き、現在の辺野古への基地移設問題に繋がる、沖縄の人たちの深い失望と怒りの根を浮かび上がらせます。
※『沖縄 うりずんの雨』公式HPより引用。
アルジェ、1954年
FLN(アルジェリア民族解放戦線)の声明第1号が流れる。 カスバのヨーロッパ人地区で、無法の賭けトランプをしているアラブ系の青年。警察に追われて走る彼を、フランス人の若者たちが転ばせ、笑い者にする。若者を殴りつけた青年は、民衆に取り囲まれ警察に拘束される。
その青年の名はアマール・アリ、通称アリ・ラ・ポワントだ。 1930年1月15日生まれで就学経験のないアリは、土木作業員やボクサーなどをしたものの、現在は失業中。少年時代から感化院に何度も出入りしていた彼は、そのまま刑務所に収監される。
その5ヶ月後
刑務所を脱獄したアリのもとに、FLNの使いである少年が伝令を持ってやってくる。そこには、カスバにあるカフェの主人で警官のスパイであるムハルビのことが書かれており、彼と通じている警官を殺すよう指示が出ていた。 指示通り街中で若い女から拳銃を受け取り、真正面から警官を撃ち殺そうとしたアリだが、拳銃には実弾が入っておらず、あわてて逃げ出す。 拳銃を渡した女に詰めよると、指示を与えたFLN幹部ジャファーの元へ連れて行かれる。アリが警察のスパイかどうかを試したがこれで本物の同志だと証明された、と言うジャファーは、敵と対峙する前に、堕落した連中を排除し味方を整理するべきだと話す。
1956年4月
FLN声明第24号によって、麻薬や酒の販売や消費、売春やその斡旋を厳しく禁じることが宣言される。 アリは市民の間に麻薬を流通させている古い友人ハッサンの処刑を命じられ、それを実行する。
1956年6月10日
マフムドとファティファの結婚式。簡素な式だが、FLN党員を始め、大勢のアルジェリア人たちが彼らの結婚を祝っている。
1956年6月20日
FLN党員たちが街で兵士を殺害し、また別の場所でも次々に警備隊員たちを襲撃する。襲撃事件の多発化に、警察は街での検問を強化していく。
1956年7月20日
またも街中で、FLNによる警官射殺事件が起こる。
夜、8番地で爆破が起き、たくさんのアルジェリア市民たちが犠牲になる。それは、警察署長たちによる報復テロだった。
報復テロに対する民衆の抗議デモが発生。アリはデモ隊の先頭を切っていたが、走ってきた少年から、ジャファーがデモの中止を指示していることを知り、なんとか民衆を押しとどめる。
後日、FLNの指示により3人の女たちによる爆破テロが計画される。街ではますます検問が強化されていくが、一般市民を装った女たちはその監視の目をくぐりぬけ、フランス人たちが多く集まるカフェやレストラン、空港に爆弾を仕掛ける。各所で爆弾が破裂し、大勢が犠牲になる。
1957年1月10日
アルジェリアに、フィリップ・マチュー陸軍中佐率いるフランス第10空挺師団がやってくる。 マチュー中佐は、1907年、ボルドー生まれで、ノルマンディー作戦や反ナチのレジスタンス、インドシナ戦争へ参加した軍人。部下たちに、一般市民のなかに身を潜めるテロリストたちへの徹底的な抗戦を宣言。FLN組織の構造を暴くため、アルジェリアのあらゆる市民に対し尋問による捜査を行うよう指示をする。
1957年1月28日
アリジェリア問題が国連総会に上程されたのを機に、FLNによる8日間のゼネストが実施される。
その期間中はあらゆる戦闘が禁じられ、全世界へアピールすることが期待された。一方で、マチュー中佐によるスト破りの計画が進められている。
アリは、FLN幹部ベン・ムヒディを隠れ家に案内する。ふたりは、革命と暴力の関係についてそれぞれの立場で語り合う。「戦争も革命も同じだ。テロが有効なのは最初だけ。勝利を決めるのは民衆の行動だ」と語るムヒディ。
軍によるスト破りが続く中、厳しい拷問を受けた男は、FLNの隠れ家を自白させられる。
1957年2月5日
スト最終日。
国連では、アルジェリアの独立賛成の過半数を得られずに終わる。
ますます厳しくなる軍の捜査によって、FLN党員たちも次々に逮捕されていく。FLN幹部たちは、隠れ家の移動と組織の再編について話し合う。話し合いが終わり、変装をしたアリとジャファーは帰路につくが、途中フランス軍に見つかり追い詰められる。知人の家の井戸の中に隠れ、なんとか追っ手をまくふたり。
1957年2月25日
大勢の客で賑わう競馬場で大規模な爆破テロが起こる。
1957年3月4日
ベン・ムヒディが逮捕され、報道陣の前で記者会見が行われる。会見で冷静に語るムヒディだが、後日、監房内で自ら命を絶つ。
彼の自死を受け、記者団の間でもフランス軍による凄惨な拷問方法が話題に上り始める。
1957年8月26日
サン・ヴァンサン・ド・ポール路地で、FLN幹部のラメルとシ・ムラドがフランス軍によって包囲される。隠れ家に追い詰められたふたりは、爆弾を仕掛け、兵士たち諸共自爆する。
1957年9月24日
マチュー中佐たちがジャファーの家を包囲する。必死で抵抗するジャファーだが、家族を人質にとられ、投降する。
次々に仲間を失ったアリは、最後の抵抗として、マフムド、ハシバ、オマールたちと新たなテロ計画を練る。そこに、自白した男を連れたフランス兵たちがやってくる。
壁のなかでじっと身を潜めるアリたち。 マチュー中佐は、そこから出てこなければ家を爆破すると警告する。 次々に家に爆弾が仕掛けられ、カウントダウンが始まる。 大勢の市民たちがその様子をじっと見つめている。みなが見守るなか、猶予時間が過ぎ爆弾は破裂する。
これでアルジェを制圧した、と語るマチュー中佐たち。
1960年12月11日
2年間、比較的静かな日々が過ぎたあと、予期せぬ動きがアルジェリア全土に広まっていく。民衆たちの行動が始まったのだ……。
誰もが自分や家族に重ねずにはいられない、
25年間の貴重なドキュメント
山口県のローカル放送局・山口放送が、ある夫婦と彼らを支える家族の姿を足かけ25年にわたり追いかけたドキュメンタリー。
カメラが静かに捉え続けた、電気も水道もない山で暮らす夫婦と、離れて暮らす家族の姿は、多くの人々の心を掴み、再放送を望む声が局に寄せられるなど大反響を呼んだ。
山口県内および日本テレビ系列「NNNドキュメント」で長きにわたり放送され、「第4回日本放送文化大賞 テレビ・グランプリ」ほか数々の賞を受賞した伝説のシリーズ、待望の映画化!
.
山口県岩国市美和町の山奥で暮らす田中寅夫さん・フサコさん夫妻。二人が、電気も電話も水道も通っていないこの山で暮らすのには、ある理由がありました。山は、戦後まもなく一からやり直そうと自分たちの手で切り開いた大切な場所。高度経済成長期に大阪へ移住し、三人の子供たちを育て上げた寅夫さんとフサコさんでしたが、夫婦で還暦を過ぎた時、「残りの人生は夫婦で、あの山で過ごそう」と、思い出の山に戻り、第二の人生を生きる道を選んだのでした。
畑でとれる季節の野菜、湧き水で沸かした風呂、窯で炊くご飯…かけがえのない二人の時間に、やがて「老い」が静かに訪れます。山のふもとの老人ホームに生活の拠点を移した後も、山のことが心から離れない二人。離れて暮らす家族の葛藤と模索。そして夫婦亡き後、残された家族に〈芽生えた〉ものとは――?そこには、現代における“幸せの形”のヒントがありました。
日本人と自然との関係を、食を切り口に見つめるドキュメンタリー。
第1章「だし:大自然のエッセンス」
日本の味の基本、「だし」。これは仏教の肉食禁止令のもと、肉に代わる“うまみ”を探し求めた人々が、およそ千年かけて、雄大な自然から見つけたものでした。
最新の食品科学は「だし」が健康によく、理にかなっていることを明らかにしています。
漁師・農家・禅寺・料亭・科学者―。「だし」をめぐる人々の営みを追い、大自然から“うまみ”のエッセンスを取り出してきた日本人の知恵を描きます。
第2章 「しょうゆ:ミクロの世界との対話」
和食の“うまみ”がつまった調味料(しょうゆ・さけ・みりん・みそ)は、1種類のカビ(麹カビ)によって作られます。
特撮を駆使したミクロの映像で、千年にわたって磨かれた職人たちの知恵と、麹カビによる和食創世のドラマを浮かび上がらせます。
- イントロダクション
坂田 雅子 監督プロフィール
ドキュメンタリー映画監督。
1948年、長野県生まれ。65年から66年、AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学文学部哲学科で社会学を専攻。1976年から2008年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、夫のグレッグ・デイビスの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意し、ベトナムと米国で、枯葉剤の被害者やその家族、ベトナム帰還兵、科学者等にインタビュー取材を行う。2007年、『花はどこへいった』を完成させる。本作は毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アースビジョン審査員賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて〜アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ」を制作し、ギャラクシー賞、他を受賞。同年2作目となる「沈黙の春を生きて」を発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞にも選出された。
- イントロダクション
音楽大国として知られるキューバ共和国。世界的に評価されるミュージシャンが数多く誕生しているが、彼らは長く続く米国の経済封鎖等、困難な状況のなか音楽活動を続けている。
映画『Cu-Bop CUB〜New York music documentary』は、困難に直面しながらも、それをものともせずに、自分の音楽を演奏し続けるキューバのミュージシャンたちを記録したドキュメンタリー作品だ。キューバに残り音楽活動を続ける者、ジャズの本場であるアメリカ合衆国に移住する者…。その両者の元へ、監督自らカメラを持って自宅に泊まり込み、寝食を共にしながら『音楽が生まれる瞬間』を記録する取材方式によってこの映画は撮影された。
- ストーリー
『Kamita Label』はキューバ音楽のCDを制作する、日本人によるプロジェクト・チームだ。2000年のレーベル設立以来、数多くのCDをプロデュースし、キューバ国内の権威ある音楽賞にノミネートされるまでになった。しかし、レーベルの設立から13年が経ち、キューバ音楽を取り巻く状況が大きく変化し始め、録音に参加したアーティストたちの生活も一様ではなくなった。
キューバのNo.1サックス奏者セサル・ロペスは祖国での活動を続ける選択をした。社会主義を堅持し、モノ不足が慢性化したキューバでは不自由な生活が当たり前。ジャズの音源チェックは古道具屋で漁ってきたアナログレコードで行い、自宅倉庫を改装した即席の音楽スタジオにオンボロ楽器を持ち寄って、音楽仲間と熱いセッションを繰り広げる日々。
一方、若き天才ピアニストのアクセル・トスカは、6年前に海外ツアーへ出た折、ニューヨークの音大のスカラシップを獲得して米国へ移住した。キューバとは長年、政治的敵対関係が続くアメリカ合衆国。あこがれ続けたジャズの聖地で理想の音楽を追求するが生活は決して楽ではなく、地下鉄に乗る金にも事欠き、ハーレムのボロアパートでコッペパンをかじって糊口をしのぐ毎日。しかしこんな生活でも、数年前に経験した宿無しの日々を思えば、いくらかマシなのだが。
米国とキューバ、セサルとアクセルの日常に触れた『Kamita Label』運営チームは、思い切ってキューバでのレコーディングライブを企画する。アクセルのバンドメンバーは、一人は米国人ルケス・カーティス、もう一人はキューバからの亡命者を父に持つ在米キューバ人のアマウリ・アコスタ。それぞれにキューバ音楽への熱い想いを抱いた2人は、アクセルと共にキューバにやって来ることになった。キューバ、米国両政府の正式な許可を得ないまま、メキシコシティを経由してどうにかハバナの空港へと降りたったアクセル一行。そして彼らが繰り広げる熱いライブが、キューバの若者から政府の役人まで、多くの人々の心を動かしてゆく…。
※『Cu-bop』公式HPより抜粋
・第3部
- イントロダクション
全米絶賛! 観客賞を総ナメにした、実話から生まれた魂を震わす感動作
1970年代のアメリカ・ブルックリンで実際にあった「障がいを持ち、母親に育児放棄された子どもと、家族のように過ごすゲイの話」。本作はモデルになった男性と同じアパートに住んでいたジョージ・アーサー・ブルームによってシナリオ化された。2011年、トラヴィス・ファイン監督はこのシナリオを読み、崩れ落ちて涙を流したという。トラヴィス自身はゲイではない。だが、愛するわが子を奪われる苦しみに普遍性を感じたという。出会うこと、求めること、守ること、愛すること……ゲイもダウン症も関係なく、魂のレベルで求め合う愛はすべての人の心に届く。そして、『チョコレートドーナツ』は全米中の映画祭で上映され感動の渦に巻き込み、各地で観客賞を総ナメにするという快挙を成し遂げた。
- ストーリー
心にぽっかりと空いた穴を埋めることなんてできないと思ってた。あなたに会うまでは。
1979年、カリフォルニア。
ある夜、ポールはシンガーを夢見ながらもダンサーとして働いているルディと出会う。ふたりはすぐに惹かれあい、たちまち恋に落ちた。
「夢はベッド・ミドラーのようなシンガーになること」 「なるべきだ」
「法律を学び世界を変えようとこの街へ来た」 「世界は変えられた?」
ルディが暮らすアパートの隣には、ダウン症の子ども・マルコが住んでいた。ある夜、大音量で音楽をかけっぱなしのままマルコをひとり残し、薬物依存症の母親は男といなくなってしまう。翌朝、ルディが騒音を注意しに乗り込んだ部屋には、ただ小さくうずくまり母親の帰宅を待つマルコがいた。
ルディはポールに助言をもらおうと、ポールが働く検事局に向かう。しかし、ポールからは、「家庭局に連絡してマルコを施設に預けろ」と言い捨てられる。失望したルディがアパートに戻ると、マルコの母親は薬物所持で逮捕されていた。そして、マルコはお気に入りの人形・アシュリーを抱きしめたまま、強制的に施設に連れて行かれてしまう。
翌日、ルディとポールは再会する。昨日の言葉を詫びるポール。お互いが歩んできた人生をそれぞれ打ち明けて、ふたりはさらに深い結びつきを確信する。その帰り道、夜の街をひとり歩くマルコがいた。家に戻ろうと、施設を抜け出していたのだ。「薬物依存の母親もダウン症に生まれたこともマルコのせいじゃない」と憤るルディ。そして、ポールとルディは“いとこ”と関係を偽り、マルコとともに暮らし始める。
「夕食にドーナツなんて体に悪いわ」 「ちょっとなら問題ないよ」
マルコは初めて学校に通い始める。ポールはマルコの宿題を手伝い、ルディは毎朝朝食を作り、眠る前にはハッピーエンドの話を聞かせて眠らせる……。まるで本当の両親のように、ふたりはマルコを愛し、大切に育てた。
「キスは小さな幸運のおまじない。でもね、その小さな幸運が物を言うの」
ルディはポールから贈られたテープレコーダーでデモテープを作る。マルコと送ったそのテープがクラブオーナーの目にとまり、シンガーの夢をつかむ。
3人で暮らし始めて約1年が経ったある日、ポールとルディがゲイのカップルであることが周囲に知られてしまう。ふたりの関係を偽ったことが原因で、マルコは家庭局に連れていかれ、ポールは仕事を解雇されてしまう。
「これは差別なのよ」 「差別じゃない。現実だ」
※『チョコレートドーナツ』公式HPより抜粋
この作品は藤沢国際映画祭参加作品です。
- イントロダクション
浦安漁港にあの男が帰ってきた!
密漁者に重傷を負わせ服役していた勝男。
そんな勝男を港の仲間は温かく迎え入れ、さかな屋としての平穏な日常が戻ってきた。
そこに現れる怪しい男中島。。。
漁港で繰り広げられる抱腹絶倒の人情喜劇をご笑覧あれ!
主演 森田釣竿がボーカルをつとめるフィッシュロック
バンド「漁港」による主題歌は必聴!!
また森田さんは実際にさかな屋を兼業されていることもあり、作中の見事な魚さばきにもご注目を!
この作品は藤沢国際映画際参加作品です。
監督トークショー 16:30 ~ 17:00
- イントロダクション
インド洋に浮かぶ"奇跡の島"マダガスカル。固有の生態系と文化を持つこの島では、雄大な自然と人、そして先祖との霊的な交流のなかで独自の伝統が紡がれてきた。そんなマダガスカルで生まれた音楽には、聴く者を魅了する豊かなメロディと、島での日常に根ざした特別なグルーヴ感が溢れている。
この映画は、トミノ、ババ、テタ、デガリといった世界的にも著名な現地ミュージシャンたちが、マダガスカル音楽のルーツを辿るロードムービー。ある者は壊れた楽器を携え故郷を目指し、ある者は死者と対話する儀式からインスピレーションを得る……。異なる故郷をルーツに持つ4人の旅に導かれた物語は、やがて私たち日本人がまったく知らなかったマダガスカルを、そして彼らの驚くべき死生観をも浮かび上がらせる。
監督の亀井岳は、自身の旅の体験に着想を得た『チャンドマニ〜モンゴル ホーミーの源流へ〜』で2009年に長編映画デビュー。本作では満を持し、自らが憧れ続けたマダガスカル音楽をメインテーマに前作同様、最小人数の日本人スタッフで渡航し、現地の人々とともに映画を完成させた。
※『ギターマダガスカル』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
ニューヨークの街角から最高にハッピーで元気になれる物語が届いた。監督はアカデミー賞®受賞『ONCE ダブリンの街角で』で世界的に注目を集めたジョン・カーニー。
ダブリンを舞台にストリート・ミュージシャンの恋物語を描いた前作は、2014年秋には舞台版も来日するなど今なお話題が尽きない。今回はダブリンからニューヨークへと舞台を移し、悩める人々が音楽を通じて運命を切り開く姿を温かなまなざしで描き出した。
恋愛、家族、仕事、夢・・・様々な問題に頭を悩ませながら生きている人々。
そんな彼らを音楽が結びつけ、人生の新たな一歩を踏み出すきっかけを作る―『はじまりのうた』は2014年6月に全米5館で限定公開され、同時期に公開された超大作の『トランスフォーマー/ロストエイジ』を抜き、スクリーン・アベレージ第1位を獲得!
その後、クチコミでその人気が拡がり1300館以上まで拡大し、並み居る大作の中3週目には全米9位を記録、オスカー受賞の前作『ONCE ダブリンの街角で』を超える大ヒット作品となった。
- ストーリー
ミュージシャンのデイヴ(アダム・レヴィーン)と恋人のグレタ(キーラ・ナイトレイ)は、二人で作った曲が映画主題歌に抜擢されてメジャーデビューが決定。初めて、ニューヨークにやってきた。今までとは違う、セレブのような生活。しかし、スターとして忙しくなるデイヴとすれ違いの日々が続くなか、彼の浮気が発覚。夢のような状況から一転、行き場の無い孤独へと突き落とされてしまったグレタは行くあてのないまま街をさまよい、旧友であり、売れないミュージシャンのスティーヴ(ジェームズ・コーデン)の家へ転がり込む。
スティーヴは失意の彼女をそのまま放っておけず、自分が登壇する小さなバーのライヴに連れて行き、そこでグレタをステージに誘う。浮かない表情のままステージに上がり一曲披露するが、歌は全く受けなかった。ところが、目を輝かせたホームレス風の男、ダン(マーク・ラファロ)が近づいてきて彼女の歌を絶賛し始める。男は自分が音楽プロデューサーだと明かし、一緒にアルバムを作ろうと持ちかける。
ダンは、かつて数々のアーティストをブレイクさせ、レコード会社を設立するほどの敏腕プロデューサーだったが、昔気質の性格と時代の流れに対応できず、自分が設立した会社をクビになったばかり。家庭もある事件をきっかけに崩壊し、妻や娘と別居状態。愛する娘バイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)からも煙たがられていた。何もかもうまくいかないことに腹を立て、飲み歩いていた時に偶然出会ったのがグレタだったのだ。
彼女の才能に惚れ込んだダンは、恋にも夢にも破れて歌を忘れようとする彼女を何とか説得。追い出されたレコード会社に彼女を売り込みにいくが、協力を断られてしまう。二人にはスタジオを借りたり、ミュージシャンを呼んだりするだけのお金がなかったが、ダンが名案を思いつく。「スタジオなんかいらない。PCと編集ソフトと高性能なマイクがあれば、どこでも録れるじゃないか!ニューヨークの喧噪も歌の伴奏にして、アルバムを作ろう!」
このダンの情熱に、グレタの心は動かされ、初めて自分のために歌ってみようと決意。エンパイアステートビル、セントラルパーク、地下鉄のホームとゲリラレコーディングは進み、二人の関係は友人以上の微妙な関係へと発展していく。そして、この無謀な企画は小さな奇跡を起こし始める。ひょんなことからダンの娘もギターで参加することになり、妻も現場に現れる。
さらに自分をクビにしたレコード会社に曲を聴かせると、興味を持ち始めた。そんなある日、今ではトップアーティストとなったデイヴから「よりを戻したい」というメール。心揺れるグレタだったが、一番自分らしく、新しい生き方を手に入れる決断をしようとしていた。そして、アルバムが完成したその日、誰も予想できなかった最高のはじまりが待っていた。
※『はじまりのうた』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
- イントロダクション
自分の思い通りに生きてきた。
ただ一つ、思い通りにいかない事がある。
それも人生でたった一度。
男は40年間、自分の思い通り好き勝手に生きてきた。これからも、何ものにも束縛されることなく、勝手気ままに生きるつもりだった。だが、ある日、思いがけず彼女に出会ってしまった。彼女をひと目見た瞬間、雷に撃たれたかのように、恋に落ちてしまう男。それは、男にとって、人生でたった1度の、最初で最後の恋だった。
『傷だらけのふたり』は、そんな無骨な男の、つたなくも一途な愛と、その愛によって手繰り寄せられる家族の絆や友情の物語だ。韓国では、2014年1月22日に公開され、観客動員数累計200万人のスマッシュヒットを記録。日本でも、〈SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2014〉長編コンペティション部門で正式上映され、観客の感涙を大いに喚起した。素朴だが人間味にあふれ、眼を潤ませながらも、思わず笑みがこぼれるような、心を熱く揺すぶる珠玉のラブストーリーである。
- ストーリー
海に面した地方都市・群山(クンサン)で、高利の金融会社テサン実業の部長として、借金取立てに勢を出す男テイル(ファン・ジョンミン)。借金を取立てるために、ガソリンを巻き散らすばかりか、それを自ら飲んでみせる無謀で粗野な男である。その反面、借金をせがむ牧師に、会社の承認を得ていない金を個人的に貸したり、取立てた金から子供の塾の月謝分だけ返してやるなど、案外情に脆く人情の厚いお人好しでもある。ある日、昏睡状態に陥った男の借金を取立てようと、クンサン医療院を訪れたテイルは、そこで男の娘ホジョン(ハン・ヘジン)と出会う。父をベッドごと病室の外に引きずり出そうとするテイルやその部下たちを,半狂乱で阻止するホジョンは、仕方なく月利49%の覚書に捺印する。その彼女を見ながら、妙に心がざわめくテイル。実は、40歳にして初めて、ひと目で恋に落ちてしまったのである。
※『傷だらけのふたり』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
- イントロダクション
長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」はひめゆり平和祈念資料館のリニューアルの総合プロデューサー・コーディネーターを勤めた柴田昌平監督が13年かけて作った、2時間10分の長編ドキュメンタリー映画です。
- はじめに
今なぜ 『 ひめゆり 』 なのか・・・。
1994年、戦後50年を迎えようとしている時期、人づてに「ひめゆりの人たちが体験をきちんと記録したがっている」という話を聞きました。「なぜ?」私には意外でした。というのも、ひめゆりについての映画やテレビ番組はそれまで何度も制作されていたので、今さらなぜなのだろう、と素朴に思ったのでした。
「ひめゆり」という言葉は、私たちや上の世代の人にとっては必ずどこかで耳にしたことがある名前です。繰り返し映画やテレビ、舞台で取り上げられ、「沖縄戦における悲劇の従軍看護婦たち」というイメージが定着しています。「聖なる人々、殉国美談、反戦の語り部・・・」さまざまな概念が「ひめゆり」には付着していて、私自身には重すぎるとそれまで避けていたテーマでした。知った気にもなっていました。
しかし実際にお会いしてみると、私がわかったつもりになっていたのは余りに表面的なことにすぎないということに愕然としました。何よりも、生存者お一人お一人が実に個性的だということに驚きました。テレビの映像で観るときに感じていた “決まり文句のように悲劇の体験を伝える語り部の人々” というイメージが崩れました。
「まもなく私たちは70歳になります。いつまで生きていられるか分かりません。私たちの体験をきちんとした形で映像で記録できないでしょうか。遺言として残したいのです」
生存者の方々から言われました。
ひめゆり学徒たちの思いと体験は、マスコミなど伝える側の思いが強すぎ却ってきちんと耳を傾けてもらえなかったり、断片として切り取られ伝えられることが多かったのです。
沖縄の親戚の家に泊まりこんで、彼女たちの証言にじっくりと耳を傾ける日々が始まりました。
私はひたすら受容体となりきろう、皆さんが話したいことを話し終えるまではじっと耳をすまそうと思いました。
カメラマンの澤幡さんが優しい目線でずっとカメラを回しつづけてくれます。その後も折に触れて、体験の記録をしてきました。13年間にわたって記録した証言は、22人、約100時間分になります。
映画の完成を待たずに3人の方が他界され、2人は病気で自由に外出できなくなりました。
ひめゆり学徒の生存者の皆さんは今、80歳前後となりました。
彼女たちの眼の黒いうちにしっかりとした映画として世に出したいという思いで、この作品を皆さんに問うことにいたしました。
語られている内容は過去ですが、語っている切実さは 「今」 にそのままつながっています。
過酷な記憶を掘り起こし、自らの言葉にするまで、彼女たちには数十年の月日が必要でした。
戦争体験から受ける印象は悲惨です。
しかし、ひめゆりの生存者からはしっかりと生きている強さを感じます。
※『ひめゆり』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
それは彼女たちの根っからの明るさ、やさしさ、そして生命への信頼感があるからです。
この映画は、今を生きる私たちに多くの示唆と希望を与えるものと信じます。
※『はじまりのうた』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
- イントロダクション
映画館の設置が法律で禁じられている国サウジアラビアから、奇跡の傑作が誕生した!ヴェネチア国際映画祭インターフィルム賞、ロッテルダム国際映画祭批評家連盟賞などを受賞、世界中の拍手に包まれた本作は、2014年アカデミー賞外国語映画賞サウジアラビア代表にも選出された。
- ストーリー
10歳のおてんば少女ワジダは男の子の友達アブダラと自転車競走がしたいのに、お母さんは男の子と遊ぶことも、自転車を買うことにもいい顔をしない。ワジダの住む世界には、女の子がしてはいけないことが沢山あるのだ。
ある日、綺麗な緑色の自転車を見て、どうしても欲しくなったワジダは、自分でお金を貯めていつか手に入れることを誓う。
手作りのミサンガを学校でこっそり売ったり、上級生の密会の橋渡しのアルバイトをしたり・・・それでも自転車代の800リヤルには程遠い。そんな時、学校でコーランの暗誦コンテストが行わることになった。優勝賞金は1000リヤル!大の苦手のコーランだったが、ワジダは迷わず立候補、必死にコーランを覚えて練習を重ねるのだが・・・。
※『少女は自転車にのって』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
『百円の恋』※R15指定
故・松田優作氏の出身地である山口県周南映画祭で、優作氏の志を受け継ぐクリエイターを発掘すべく、2012 年に新設された脚本賞、第一回「松田優作賞」グランプリ作品 『百円の恋』(作:足立紳)。
国内外からの応募総数151 の脚本より、松田美由紀(女優、 写真家)、黒澤満(映画プロデューサー)、丸山昇一(脚本家)らの厳正なる選考により、女と男の挫折と再生という普遍的なテーマに挑みながらも、人間の弱さと強さを真っ向から描ききった骨太な本作を、『イン・ザ・ヒーロー』の武正晴監督が待望の映画化
優作氏の故郷・山口県でも一部撮影を行いつつ、志を受け継ぐ役者たちが繰り広げる、魂と肉体を張った名作が誕生した。
- ストーリー
32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた。
ある日離婚し、子連れで実家に帰ってきた妹の二三子と同居をはじめるが折り合いが悪くなり、しょうがなく家を出て一人暮らしを始める。夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありつくが、そこは底辺の人間たちの巣窟だった。
心に問題を抱えた店員たちとの生活を送る一子は、帰り道にあるボクシングジムで、一人でストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することが唯一の楽しみとなっていた。
ある夜、そのボクサー・狩野が百円ショップに客としてやってくる。狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに2人の距離は縮めていく。なんとなく一緒に住み始め、体を重ねるうちに、一子の中で何かが変わり始める―――。
※『百円の恋』公式HP(画面上段タイトルにリンク)より引用
※トークショー以降の予定を一部変更+詳細化させて頂きました。